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自室境界END-2  | 2024

Type :video/game

Member :Yusuke Takahashi

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あらすじ

パンデミックの発生に伴い自宅から出ることができない主人公とその同居人の女性。あるときリビングの自宅工事のため作業員が訪れる。作業員は同居人の女性と徐々に仲良くなり、リビングの改築を勝手に進めていく。その状況の中で主人公はなぜか部屋から出ず 、ふすまにあいた穴からその様子を眺める。

眺めてはベッドに座り、眺めてはベッドに座り… を繰り返していく。

​全編16分うち冒頭6分

本作におけるプレイについて

 本作は、私が普段生活を営む自室を3DCG上に再現し、私自身のアバターを操作するゲーム「自室境界」の記録映像作品です。私が自身で制作したゲームを、自ら遊び(=play)、安全圏であるはずの自室を介して寧ろ孤立していく「私」という主人公を演じ(=play)、それを(unplayableな形式である)「プレイ動画」として記録することで、鑑賞者に再生(=re-play)してもらいます。私たちは日常的な現実をplayableなもの(=介入可能なもの)として生きている一方で、昨今のパンデミックが我々の記憶に新しいように、時として外部からの介入によって引き起こされた変化を、ただ傍観することしかできない状況に陥ることがあります。

 そして、そのような「介在余地のなさ」(=unplayablity)は、社会規模な事態の進行下に限ったものではなく、他の(playableな)行為主体であるところの他者との関係においても、日常的に経験されるものではないでしょうか。私はそのような「介在余地のなさ」に強い苦痛を感じつつも、同時に好奇心に似た欲望を覚える自分に気づくことがあります。それはplayable/unplayableという二つの認識の紙一重な「境界」に触れたときにこそ、我々の実存が問われ、生き(=playし)続けることの意味を感じられるからかもしれません。

 遊びの道具として制作されるゲームというメディアは、実際にはplayable/unplayableなものを厳密に定義することで、playableな要素だけに注意が集中するよう設計されますが、本作ではこの関係を逆転させています。unplayableな要素に注意を向けることで、鑑賞者が境界の上で自分自身の実存を問う機会となることを願います。

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